キケロから学ぶ共和政ローマ末期 – 中高生・受験生のための世界史まとめ

キケロ

必ず押さえるべき重要ポイント!

キケロは、紀元前106年から紀元前43年までの人物で、本名はマルクス・トゥッリウス・キケロといいます。彼は、共和政ローマ時代末期の政治家、弁論家、哲学者として知られています。キケロは、護民官や執政官を務め、元老院において大きな影響力を持ちました。カエサルの独裁政治に反対し、共和政を守ろうと努力しましたが、最終的にはアントニウスに暗殺されてしまいます。キケロは、優れた弁論術と哲学的著作で知られ、ラテン語散文の完成者とも称されています。彼の思想は、後世の西洋文化に大きな影響を与えました。

キケロとは何者か – 共和政ローマを代表する政治家の生涯

キケロのプロフィール画像
重要ポイント!
  • キケロは平民出身の「新人(ホモ・ノウス)」政治家で、弁論の名手として頭角を現した。
  • 前63年には「新人」としては異例の若さでコンスル(執政官)に就任し、カティリーナ陰謀事件で活躍した。

「新人」から「コンスル」へ – キケロの青年期と政治家への道のり

マルクス・トゥッリウス・キケロ(前106年〜前43年)は、共和政ローマ末期を代表する政治家・弁論家・著作家です。キケロは地方都市アルピヌムの騎士階級の家に生まれ、新人(ホモ・ノウス)」と呼ばれる平民出身の新興政治家でした。

青年期のキケロは法廷弁護士として頭角を現し、弁論の名手として高い評価を得ました。前76年には法務官、前69年には財務官を務め、着実に政治家としてのキャリアを重ねていきます。そして前63年、キケロは「新人」としては異例の若さでコンスル(執政官)に就任し、ローマ政界の第一線で活躍することになりました。

カティリーナ陰謀事件でのキケロの活躍と評価

コンスル就任後まもなく、キケロはカティリーナ陰謀事件に直面します。これは、貴族出身の政治家カティリーナが企てたクーデター未遂事件です。危機感を募らせたキケロは、自ら先頭に立ってこの陰謀を調査・摘発し、見事に陰謀を未然に防ぐことに成功しました

この事件での活躍により、キケロは「国家の父」と称えられるなど絶大な人気を博しました。卓越した弁論で議会を動かし、ローマを危機から救ったキケロの手腕は高く評価されたのです。一方で、陰謀の処罰をめぐっては、法的な手続きを踏まずにカティリーナ派を処刑したことで、一部から批判の声もあがりました。

三頭政治とその崩壊 – キケロを翻弄した権力闘争

重要ポイント!
  • 前60年に成立した三頭政治は、ポンペイウス、クラッスス、カエサルによる非公式の政治同盟だった。
  • 三頭政治の権力者間の対立が深まる中、キケロは翻弄され、前58年にはローマから追放された。

三頭政治の成立と内情 – ポンペイウス、クラッスス、そしてカエサル

前60年、ローマでは「三頭政治」と呼ばれる三者による支配体制が成立します。これは、国家の実権を握る3人の有力政治家、ポンペイウス、クラッスス、カエサルによる非公式の政治同盟でした。

ポンペイウスは名将として、クラッススは豊富な財力で、カエサルは民衆の支持を背景に、それぞれ強大な影響力を持っていました。三頭政治の下、彼らは互いの利害を調整しながら、ローマの政治を主導していったのです。しかし、その内実は不安定な権力の均衡に過ぎず、いつ崩れてもおかしくない脆さを内包していました。

ポンペイウスとカエサルの対立激化とキケロの追放

三頭政治を構成する3人の間で次第に対立が深まる中、キケロは微妙な立場に立たされます。当初はポンペイウスを支持していたキケロでしたが、次第にカエサルにも接近。しかし前58年、カエサルと結んだクロディウスによって、キケロはローマから追放されてしまいました。

これは、カティリーナ陰謀の際の不法な処刑を理由に、キケロが国外追放処分を受けたのです。権力闘争の波に翻弄され、第一線から退くことを余儀なくされたキケロ。かつての「国家の父」の影響力は大きく揺らぐことになります。前53年、クラッススが戦死し、三頭政治は事実上の崩壊を迎えました。

カエサル暗殺とその後 – キケロ没落の背景

重要ポイント!
  • 三頭政治崩壊後、カエサルが独裁色を強めたことで貴族層の反発が高まり、前44年にブルータスらがカエサルを暗殺した。
  • キケロはブルータスを支持する立場を取ったが、内戦の火種ともなったカエサル暗殺事件に翻弄された。

カエサルの独裁体制とその功罪

三頭政治の崩壊後、ポンペイウスとの内戦に勝利したカエサルは、ローマの実質的な支配者となります。カエサルは終身の独裁官に就任し、元老院の権限を大幅に制限するなど、独裁色を強めていきました。

カエサルの改革は、土地改革や属州住民への市民権付与など、民衆の支持を集める一方、元老院との対立は深まるばかり。伝統的な共和政の体制は大きく揺らぎ、カエサルへの反発が貴族層を中心に高まっていったのです。キケロもまた、共和政の理念を脅かすカエサルの独裁を危惧する一人でした。

ブルータスらによるカエサル暗殺とキケロの動向

前44年3月15日、元老院議員のブルータスらがカエサルを暗殺します。かつてカエサルに恩義があったブルータスでしたが、共和政を守るため決然とカエサル暗殺に踏み切ったのです。

この騒動の中、キケロは暗殺の首謀者ではありませんでしたが、ブルータスらを支持する立場を取りました。「暴君討伐」とも言えるカエサル暗殺を、共和政再建への転機ととらえたのです。しかし、ローマの運命を左右したこの事件は、さらなる内戦の火種ともなりました。

アントニウスとオクタウィアヌスの台頭 – キケロ暗殺の真相

重要ポイント!
  • カエサル没後、アントニウスとオクタウィアヌスが台頭し、キケロは当初オクタウィアヌスに期待を寄せてアントニウスに対抗した。
  • 前43年、アントニウスとオクタウィアヌスは和解し、アントニウスの指示でキケロは暗殺された。

共和政の理想を掲げたキケロと、新勢力との対立構図

カエサル没後、かつての盟友だったアントニウスと、カエサルの養子オクタウィアヌスが台頭してきます。キケロは当初、若きオクタウィアヌスに期待を寄せ、共和政再建の同志としてアントニウスに対抗しました。

元老院でアントニウスを激しく弾劾するキケロ。その一方、アントニウスとオクタウィアヌスは密かに和解し、野心家のキケロを排除する戦略で一致します。かつての「国家の父」も、変わりゆく情勢の中でしだいに追い詰められていったのです。

再び燃え上がる内戦の炎とキケロの最期

前43年、第二回三頭政治を結成したオクタウィアヌスとアントニウスは、容赦なく政敵の粛清を開始します。アントニウスの指示で追放されたキケロは、ローマから逃れる途中、暗殺者に捕えられました。

政治的混乱の犠牲となったキケロ。その死を以て、共和政の名残を留めた最後の巨人が歴史の表舞台から姿を消したのです。内戦の炎に巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げたキケロでしたが、政治家としての手腕と弁論の才は、後世に大きな影響を残しました。

試験で問われる重要ポイント

  • キケロは平民出身の「新人(ホモ・ノウス)」政治家で、弁論の名手として活躍した。
  • カティリーナ陰謀事件では、陰謀を摘発し「国家の父」と呼ばれるほどの人気を博した。
  • 三頭政治とは、ポンペイウス、クラッスス、カエサルによる非公式の政治同盟。
  • カエサルの独裁体制に反発が高まる中、ブルータスらがカエサルを暗殺。
  • キケロはアントニウスに弾劾され、オクタウィアヌスとの対立の中で暗殺された。

確認テスト

問1. キケロに関する説明として最も適切なものを選べ。

  1. 世襲の名門政治家一族の出身である
  2. 「ホモ・ノウス」と呼ばれる、平民出身の新興政治家だった
  3. 生涯を通じてカエサルを支持した
  4. 弁論の才能に乏しかった

解答:2

問2. 三頭政治の構成員でないのは誰か。

  1. カエサル
  2. ポンペイウス
  3. クラッスス
  4. ブルータス

解答:4

問3. カエサル暗殺の首謀者は誰か。

解答:ブルータス