マンサムーサとは? 中世アフリカを代表する英雄の生涯
マリ王国の統治者となるまでの道のり
マンサムーサは、1280年頃にマリ王国の王族に生まれたと言われています。叔父のアブバカル2世の後を継いで、1307年にマリ王国の王(マンサ)となりました。マンサムーサが即位する以前のマリ王国は、周辺国との戦争が絶えない状態でしたが、彼の治世下で国力を大きく伸ばしていきます。
マンサムーサの治世:マリ王国の黄金時代
マンサムーサは、25年間にわたってマリ王国を統治しました。軍事力を強化して周辺国を次々と征服し、マリ王国の版図を大幅に広げました。また、イスラム法に基づく統治を行い、交易の活性化や都市の発展にも力を注ぎます。こうした取り組みにより、マリ王国は西アフリカ随一の大国となり、マンサムーサの時代は「黄金時代」と呼ばれるようになりました。
マンサムーサの偉大な功績① メッカ巡礼と大量の金
史上最大規模と言われるメッカ巡礼の様子
1324年、マンサムーサはイスラム教の聖地メッカへの巡礼に出発しました。この巡礼は、当時としては極めて規模の大きなもので、数万人もの人々が同行したと言われています。途中立ち寄った都市では、豪華な宿泊施設が用意され、大規模な市場が開かれるなど、一行は各地で盛大に歓迎されました。マリ王国の富と威信を内外に示す絶好の機会となったのです。
巡礼中にばら撒かれた大量の金とその影響
巡礼の途上、マンサムーサは大量の金をばら撒いたと言われています。これにより、エジプトを中心に金の価値が大きく下落し、物価の高騰を招きました。東西交易の中心地であったエジプトの経済に大きな影響を与えたのです。一方で、マンサムーサのメッカ巡礼は、マリ王国とイスラム世界とのつながりを強め、文化的交流の活発化にもつながりました。
マンサムーサの偉大な功績② 交易の活性化と都市の発展
サハラ交易の要衝として栄えたマリ王国
14世紀当時のマリ王国は、サハラ砂漠を横断する交易路の要衝として繁栄していました。特に金や塩の交易で莫大な富を築き、「黄金の国」とも呼ばれるようになります。マンサムーサは、交易路の整備や商人の保護に力を注ぎ、国内外の商人を積極的に受け入れました。同時に、イスラム法に基づく統治を行い、商取引のルールを整備。安定した環境を整えることで、交易のさらなる発展を促したのです。
マンサムーサが築いた豪奢な都市ティンブクトゥ
マンサムーサは、サハラ交易の中心都市として、ティンブクトゥの発展に尽力しました。イスラム世界から学者や芸術家を招き、モスクや大学、書院などの建設を推進。イスラム文化の一大中心地として、ティンブクトゥの地位を確立したのです。なかでもサンコーレ・モスクは、当時のイスラム建築の最高傑作とされ、今なお世界遺産として保存されています。マンサムーサの治世は、学問や芸術が最も花開いた時代でもありました。
試験で問われる重要ポイント
マンサムーサの統治下でのマリ王国の発展
- 25年間の長期にわたる統治 – 周辺国の征服による版図の拡大
- イスラム法に基づく統治体制の確立 – 交易の活性化と都市の発展
- 「黄金時代」と呼ばれる繁栄期
メッカ巡礼が与えた経済的・文化的影響
- 大規模な巡礼団の派遣
- 巡礼中にばら撒かれた大量の金とエジプト経済への影響
- イスラム世界とのつながりの強化
- イスラム文化の積極的な取り入れ
- 学問・芸術の振興
確認テスト
Q1. マンサムーサが統治していた国はどこ?
解答:マリ王国
Q2. マンサムーサが行った大規模な巡礼の目的地は?
解答:メッカ
Q3. マンサムーサが建設を推進した都市はどこ?
解答:ティンブクトゥ
Q4. マンサムーサの治世は何と呼ばれるか?
解答:黄金時代
Q5. ティンブクトゥに現存するマンサムーサ時代の建築物は?
解答:サンコーレ・モスク