カエサル

カエサル

カエサルの簡単な解説!

ガイウス・ユリウス・カエサルは、ローマ共和政末期の政治家であり将軍。

護民官属州総督を務め、ガリア戦争で活躍。その後、ポンペイウスクラッスス第一回三頭政治を結成したが、ルビコン川を越えてローマに進軍し、内乱を引き起こした。

内乱に勝利したカエサルは終身独裁官となるが、共和政の復活を望む元老院議員らによって暗殺

カエサルとは?

カエサルのプロフィール画像
カエサルとは
  • 古代ローマ末期の軍人・政治家で、名門ユリウス家出身の開明的な改革者
  • 独裁官として絶大な権力を握るも、元老院の反発を買い暗殺される

ローマ共和政末期の政治家・将軍

ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前100年頃~前44年)は、古代ローマ共和政末期の軍人・政治家です。名門のユリウス家に生まれ、若くして頭角を現しました。三頭政治の一員として、政敵ポンペイウスを破って独裁官の地位につきましたが、専制色を強めたため暗殺される運命をたどりました。
傑出した軍事的才能と政治手腕で知られるカエサル。しかし権力欲が強く、野心家とも評されます。共和政の理念を壊し、のちの帝政樹立への道を開いた人物として、歴史上に大きな足跡を残しました。

「ブルータス、お前もか」の名台詞で有名な歴史上の人物

カエサルの最期の場面は、非常にドラマチックに語り継がれています。かつての盟友だったブルータスを含む元老院議員たちの手にかかって暗殺された時、カエサルは「ブルータス、お前もか(Et tu, Brute?)」と叫んだと伝えられているのです。
この悲劇的な最期のエピソードは、シェイクスピアの戯曲ジュリアス・シーザー』でも有名なシーンとして描かれました。歴史的な記述では定かではありませんが、裏切りと陰謀渦巻く権力闘争の象徴として語り継がれる言葉となっています。

因みに、「カエサル」という言葉はラテン語のCaesar(カエサル)が語源で、もとは彼の名前でしたが、後の皇帝たちが称号として用いるようになりました。つまりカエサルは、ローマの歴史から「皇帝」という言葉そのものを生み出したとも言えるのです。

カエサルの生い立ちと経歴

カエサルの生い立ちと経歴
  • 没落しつつあった名門貴族の家系に生まれる
  • 政敵スッラの猜疑を招きつつも政治家への道を歩む
  • 三頭政治を樹立しローマの実権を握るが、同盟者たちとの対立が内乱の遠因

名門貴族の出身と政治家への道

カエサルは紀元前100年頃、ローマの名門貴族ユリウス家に生まれました。当時ユリウス家は影響力を失いつつありましたが、カエサルの叔父マリウスは傑出した将軍として知られ、功績を挙げていた人物でした。
しかしマリウスは政敵スッラ派との権力闘争に敗れ、ローマを追われる憂き目に。カエサルも一時はスッラから目をつけられ、命を狙われる危機に直面します。母方の親族の助言で何とか許しを得たカエサルは、その後も臆することなく辣腕を振るい、政界で頭角を現していったのです。

若くして従軍し、軍功を挙げて人気を博したカエサル。元老院議員にも選出され、政治家としてのキャリアを着実に重ねます。野心家で知られた彼は、権力の階段を着実に上っていきました。

三頭政治での台頭とポンペイウスとの対立

紀元前60年、カエサルポンペイウスクラッススと密約を結び、三頭政治を樹立します。三頭政治は実質的に3人で共和政ローマを支配する体制で、カエサルはこれにより一気に台頭することになりました。
同盟関係を強固にするため、カエサルはポンペイウスの娘ユリアと政略結婚。ポンペイウスとの対立が深刻化するのは、この後のことです。三頭政治樹立に際しては、カエサルにガリア総督のポストが与えられ、駐屯軍の指揮権を握ることになりました。

ガリア征服を通じ、名声得たカエサルでしたが、クラッススの死去三頭政治の均衡が崩れると、ポンペイウスとの対立が決定的に。ついにはルビコン川を渡って反乱を起こすに至るのです。戦いに勝利すれば、ローマの覇権は彼の手中に収まる。そう確信したカエサルでしたが、勝利の後に待っていたのは皮肉な運命だったのです。

ガリア戦争と「ガリア戦記」

ガリア戦争と「ガリア戦記」
  • ガリア遠征で軍功を重ね、ローマの版図を大幅に拡大するとともに名声と富を獲得
  • ガリア戦記」を著し、戦略眼と人間観察の鋭さを発揮した文才でも知られる 

ガリア征服の経緯と意義

紀元前58年、カエサルはガリア総督に就任し、駐屯軍の指揮を執ることになります。当時、ガリアはケルト系部族が割拠し、ローマの脅威となっていました。カエサルは治安維持と領土拡張を目的に、ガリア征服に乗り出したのです。
ガリア戦争は紀元前58年から前50年まで続きました。激戦の末、カエサルはガリア全土をローマの支配下に置くことに成功します。ウェルキンゲトリクスが率いるガリア人の大反乱を鎮圧し、さらにはブリタンニア島への遠征も行いました。

ガリアの属州化により、ローマ文明の版図は大きく拡大しました。同時に、カエサルは多くの軍功と富を得て、名声は頂点に達します。しかし元老院の反発も強まり、ポンペイウスとの対立が深刻化。ガリア征服の成功が、皮肉にも内乱への伏線となったのです。

「ガリア戦記」の内容と文学的価値

ガリア戦記」は、カエサル自らがガリア戦争の顛末を記した著作です。全7巻から成り、カエサルの武勇伝としての性格が強い一方、ケルト人の風俗や社会についての貴重な民族誌的記述も含まれています。
カエサルの文章は、簡潔で的確。戦況の推移や兵たちの士気を、臨場感を持って描き出しています。同時に、ガリアの地理や部族について詳細に観察・分析した記述からは、彼の鋭い観察眼と知性を垣間見ることができます。

ガリア戦記」は、古代ローマを代表する文学作品の一つに数えられています。戦記としての面白さだけでなく、コンパクトでスタイリッシュなラテン語の文体は、後世の文学に大きな影響を与えました。何より、他民族を尊重しつつ見据えるカエサルの視点は、広い視野を持った古典として高く評価されているのです。

ルビコン川の渡河と内乱

ルビコン川の渡河と内乱
  • 元老院との対立から、ルビコン川を越えて反乱を起こし、ポンペイウス派との内戦に突入
  • 一進一退の攻防の末に勝利を収め、ローマの新たな支配者として君臨することに

「賽は投げられた」の決断と反乱

紀元前49年1月10日、カエサルルビコン川を越え、反乱の狼煙を上げました。1個軍団を率いてのイタリア進軍は、当時の法に照らせば明らかな謀反行為。それまでの対立が武力衝突へと転化する、まさに決定的な分岐点となった出来事です。
賽は投げられた(Alea iacta est)」。進軍を決断したカエサルのこの言葉は、反逆への決意を示す名言として広く知られています。後戻りできない運命の一手を打つ瞬間。それは、停滞と混迷の淵にあった共和政に、革新か滅亡かの二者択一を迫る衝撃の幕開けでもありました。

ルビコン川の先には、泰山木を削り出すような難局が待ち受けていました。盟友だったポンペイウスを筆頭に、元老院派の大多数カエサルに敵対。完全な劣勢を覚悟しての戦いの火蓋が切られたのです。

ポンペイウス派との戦いと勝利

始まった内乱は、一進一退の攻防が続く熾烈なものでした。ポンペイウス派はカエサルの4倍以上の兵力を有し、各地に精鋭部隊を配置。一方のカエサルは、ガリア戦争で鍛え上げた精強な軍団を率いて各個撃破を狙います。
紀元前48年8月9日、ギリシャ北部ファルサロスの平原で両軍は決戦に臨みました。「今日は人類の運命がかかっている」。戦いに赴くカエサルの言葉からは、勝敗の重大性がひしひしと伝わってきます。激戦の末、カエサル軍が大勝利ポンペイウスはエジプトへ逃れますが、暗殺されてしまうのです。

内乱はさらに4年近く続きましたが、カエサルは反抗勢力を次々と平定。紀元前45年、カエサルローマに凱旋し、最高権力者の地位を確立します。戦場での手腕だけでなく、寛大な恩赦による民心の掌握にも長けていたと言われます。

独裁官就任と暗殺

カエサルがブルータスに暗殺される瞬間
独裁官就任と暗殺
  • 終身独裁官に就任し、元老院の反発を招きつつも改革を断行
  • かつての盟友ブルータスらによる暗殺で非業の死を遂げ、混乱の時代に幕

独裁体制の確立と政治改革

紀元前45年、内乱の勝利でローマの実権を掌握したカエサルは、終身独裁官に就任します。元老院内の支持基盤を背景に、強力な個人支配体制を敷いたのです。反対派の追放や私兵の増強など、専制色の強い施策を次々と断行。「国家はすなわち我なり」と述べ、王号を求める動きすら見せました。
しかし、カエサルの政治はネガティブな面ばかりではありませんでした。属州の住民に広くローマ市民権与え、属州出身者の元老院入りを認めるなど、包括的な改革を進めたのです。また、太陽暦に基づくユリウス暦」を制定。現在も使われるグレゴリオ暦の基となった暦法改革でした。

独裁体制を敷きながらも、政治参加の幅を広げ、合理的な統治基盤の形成を目指す。カエサルの政策には、そんな二面性がありました。ローマ帝国の礎を築いた功績は大きいものの、専制者としての評価も拭えません。歴史の評価が分かれる所以です。

ブルータスらによる暗殺の衝撃

元老院内の反カエサル派は、ブルータスカッシウスを中心に暗殺計画を練ります。ブルータスはカエサルの側近中の側近で、信頼も厚かった盟友。それだけに、彼が共和政の理想を掲げて謀反に加わったことは、大きな衝撃をもたらしました。
暗殺は、紀元前44年3月15日に発生。元老院の会合に出席したカエサルは、待ち伏せしていた暗殺者たちに取り囲まれ、23回にも及ぶ短剣の一突きを受けて絶命します。「ブルータス、お前もか」。倒れ伏すカエサルの最期の言葉は、後世まで語り継がれる有名な台詞となりました。

カエサル暗殺は、共和政ローマにとって大きな転換点となる出来事でした。独裁者の死は内乱の引き金となり、かえってローマは混乱に陥ってしまいます。やがて、カエサルの後継者を名乗るオクタウィアヌスが勢力を拡大アクティウムの海戦での勝利を経て、帝政ローマへの道を進むことになるのです。

試験で問われる重要ポイント

試験で問われる重要ポイント!
  • 三頭政治の成立と崩壊
  • ガリア戦争とローマの版図拡大
  • 内乱とカエサルの勝利
  • ブルータスによる暗殺

確認テスト

問1.カエサルの生まれについて、正しいものを選びなさい。
ア)平民の出身である 
イ)没落しつつあった名門貴族の出身である
ウ)ガリア人の血を引いている 
エ)奴隷から身を起こした

解答:イ

問2.カエサルが参加した第一回三頭政治の構成メンバーはどれか。
ア)カエサル、アントニウス、オクタウィアヌス 
イ)カエサル、スキピオ、ポンペイウス
ウ)カエサル、クラッスス、ポンペイウス 
エ)カエサル、ブルータス、クラッスス

解答:ウ

問3.ガリア戦争の結果、次のうちどの出来事が起こったか。
ア)属州の反乱が拡大した 
イ)ローマ市民権が属州住民に広く付与された
ウ)ローマ帝国の版図が大きく拡大した 
エ)ローマは多額の賠償金を支払った

解答:ウ

問4.「賽は投げられた」と言ってカエサルが開始した内乱のきっかけとなった事件は何か。
ア)ポンペイウスの暗殺 
イ)ガリア遠征からの帰還
ウ)ルビコン川の渡河 
エ)ファルサロスの戦い

解答:ウ

問5.カエサル暗殺の首謀者として知られるのは誰か。
ア)アントニウス 
イ)オクタウィアヌス 
ウ)クレオパトラ 
エ)ブルータス

解答:エ

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