ラムセス2世

ラムセス2世

ラムセス2世について簡単に解説!

ラムセス2世は、紀元前13世紀に活躍した古代エジプト第19王朝のファラオ。別名ラムセス大王

在位期間は紀元前1279年から紀元前1213年までの約66年間で、エジプト史上最長の治世を誇る。

紀元前1274年にヒッタイトカデシュの戦いを戦い、現存する最古の平和条約を結んだ。

アブ・シンベルの大神殿の建設などでも知られる。

ラムセス2世とは? 古代エジプト新王国時代の偉大なファラオ

ラムセス2世のプロフィール画像
ラムセス2世とは?
  • ラムセス2世は紀元前13世紀に古代エジプト第19王朝を治めた新王国時代後期の最も有名なファラオ
  • 彼は戦いにおける勝利建築事業で知られ、66年以上にわたる長い治世の間、軍事的な勝利を収め、国土を拡大し、大規模な建設プロジェクトを推進した。

ラムセス2世の生涯 – 即位から死までの主な出来事

ラムセス2世の生涯における主要な出来事は以下の通りです。

  • 紀元前1303年頃: ラムセス2世誕生
  • 紀元前1279年: 父セティ1世の後を継ぎ、ラムセス2世が即位
  • 紀元前1274年: カデシュの戦いヒッタイト帝国と対峙
  • 紀元前1258年: ヒッタイト帝国和平条約締結
  • 紀元前1244年頃: アブ・シンベル大神殿建設開始
  • 紀元前1213年: ラムセス2世死去 (享年90歳以上)

ラムセス2世は、即位してから死ぬまでの66年以上にわたって古代エジプトを支配しました。この長い治世の間、ラムセス2世は軍事的な勝利を収め、国土を拡大し、大規模な建設プロジェクト推進しました。これらの業績により、ラムセス2世は古代エジプト史上最も偉大なファラオの一人となったのです。

ラムセス2世の主な業績

ラムセス2世の主な業績
  • ヒクソスとの戦い勝利してエジプトの国土を守る。
  • カデシュの戦いではヒッタイト帝国と対峙し、その後和平条約を結んだ。
  • アブ・シンベル大神殿をはじめとする壮大な建造物を建設し、軍事、外交、建築の分野で多大な業績を残した。

ヒクソスの脅威を退けエジプトの版図を拡大

ラムセス2世は、父セティ1世の治世から続くヒクソスとの戦いを引き継ぎ、エジプトの国土を守るために尽力しました。ヒクソスは、エジプト北部に拠点を置く異民族集団で、エジプトの支配を脅かす存在でした。ラムセス2世は、数々の軍事作戦を通じてヒクソスを退け、エジプトの版図を拡大することに成功しました。この功績により、ラムセス2世はエジプトの守護者として称えられるようになりました。

カデシュの戦い – ヒッタイト帝国との戦いと和平

紀元前1274年、ラムセス2世はカデシュの地ヒッタイト帝国の軍勢と対峙しました。カデシュの戦いは、古代近東における最大規模の戦車戦の一つとして知られています。戦いは膠着状態に陥りましたが、ラムセス2世は勇敢に戦い、最終的には戦線から撤退することができました。この戦いの後、ラムセス2世はヒッタイト帝国と和平条約を結びました。これは、歴史上初めて記録された国家間の平等条約であり、両国の国境を確定し、相互不可侵と援助の約束が含まれていました。この条約により、エジプトとヒッタイト帝国の間に長期的な平和がもたらされました。

アブ・シンベル大神殿の建設 – ラムセス2世の威光を示す巨大建造物

ラムセス2世は、古代エジプトの建築事業にも大きな足跡を残しました。特に有名なのが、現在のスーダン南部に位置するアブ・シンベル大神殿です。この神殿は、ラムセス2世の威光を示す巨大建造物であり、彫刻や壁画など芸術的にも非常に価値が高いものです。アブ・シンベル大神殿は、ラムセス2世自身とエジプトの神々を祀るために建設されました。大神殿の入り口には、高さ20メートル以上のラムセス2世の巨像が4体並んでおり、訪れる者を圧倒します。この神殿は、ラムセス2世の権力古代エジプトの建築技術の高さ示す象徴的な存在となっています。

以上のように、ラムセス2世は軍事、外交、建築の分野で多大な業績を残しました。これらの業績は、古代エジプトの繁栄新王国時代の黄金期を支えた重要な要素であったと言えるでしょう。

ラムセス2世治世下の古代エジプトの繁栄

ラムセス2世治世下の古代エジプトの繁栄
  • ラムセス2世治世下の古代エジプトは、ナイル川の恵み発展した農業基盤とし、灌漑システムの整備農地の拡大により農業生産性が向上
  • この時代、古代エジプトは周辺地域との活発な交易を行い、経済的繁栄を遂げるとともに、建築と芸術の最盛期を迎えた。

ナイル川の恵みと農業の発展

古代エジプトの繁栄の基盤となったのは、ナイル川の恵みと発展した農業でした。ナイル川は、毎年の氾濫によって肥沃な土壌をもたらし、豊かな農作物の栽培を可能にしました。ラムセス2世の治世下では、灌漑システムの整備や農地の拡大が進められ、農業生産性が大きく向上しました。これにより、古代エジプトは食料の安定供給を実現し、人口増加と都市の発展を支えることができたのです。

活発な交易と国際関係

ラムセス2世の時代、古代エジプトは周辺地域との交易を活発に行っていました。ナイル川を通じた船舶交通や、陸路での隊商交易により、エジプトは金、銀、香料、木材など様々な物資を獲得しました。また、ヒッタイト帝国との和平条約締結後は、両国間の交易もさかんになりました。こうした交易活動は、古代エジプトの経済的繁栄に大きく寄与しました。さらに、国際的な交流は文化的な刺激ももたらし、芸術や学問の発展にも影響を与えました。

建築と芸術の発展 – 新王国時代の黄金期

ラムセス2世の治世は、古代エジプトの建築と芸術の最盛期でもありました。先述のアブ・シンベル大神殿をはじめ、ラムセス2世は各地に壮大な神殿や記念碑を建設しました。これらの建造物は、ラムセス2世の権力と富を示すとともに、古代エジプトの建築技術の高さを物語っています。また、この時代の芸術は精緻さと表現力に優れ、彫刻、レリーフ、壁画など様々な分野で傑作が生み出されました。ラムセス2世の治世は、古代エジプト芸術の頂点とも言える時代だったのです。

ラムセス2世の治世下で、古代エジプトは政治、経済、文化のあらゆる面で繁栄を謳歌しました。農業の発展、活発な交易、建築と芸術の隆盛は、古代エジプト新王国時代の黄金期を象徴する要素であり、ラムセス2世の治世の偉大さを示すものと言えるでしょう。

ラムセス2世の死後 – ミイラと墓

ラムセス2世の死後
  • ラムセス2世のミイラは1881年にエジプトのデール・アル=バハリで発見され、現在はカイロのエジプト考古学博物館に展示。
  • 彼の墓はルクソール西岸の「王家の谷」に造られ、豪華な葬送品が数多く納められていた。

ラムセス2世のミイラ発見の経緯

ラムセス2世のミイラは、1881年にエジプトデール・アル=バハリ発見されました。当初、ミイラの身元は不明でしたが、1881年にカイロに運ばれた後、ミイラに付けられた銘文からラムセス2世であることが判明しました。その後、1975年にパリミイラ研究所詳細な調査が行われ、ラムセス2世の身元が確定しました。ミイラは現在、カイロのエジプト考古学博物館に展示されており、ラムセス2世の威厳ある姿を今に伝えています。

豪華絢爛な葬送品と来世への準備

ラムセス2世の墓は、ルクソール西岸の王家の谷に造られました。墓の内部は、彼の業績を称える壁画や浮彫りで飾られ、豪華な葬送品が数多く納められていました。金細工、宝石、家具、武器など、来世で必要とされる様々な品々が副葬されました。古代エジプトでは、死後の世界でも現世と同じような生活を送ると信じられていたため、こうした葬送品は来世への準備として欠かせないものだったのです。ラムセス2世の墓の豪華さは、彼の権力と富を象徴するとともに、古代エジプトの来世信仰の深さを物語っています。

ラムセス2世の死後、彼のミイラと墓は、古代エジプトの歴史と文化を現代に伝える貴重な遺産となりました。ラムセス2世は、死してなお、古代エジプトを代表する偉大なファラオとして、世界中の人々を魅了し続けているのです。

確認テスト

問1.ラムセス2世がエジプトの国土を守るために戦った異民族集団の名前は?
a. アッシリア人
b. ペルシャ人
c. ヒッタイト人
d. ヒクソス

解答:b. ペルシャ人

問2.紀元前1213年にラムセス2世がヒッタイト帝国と戦った戦いの名前は?

解答:カデシュの戦い

問3.ラムセス2世の威光を示す巨大建造物であり、現在のスーダン南部に位置する神殿の名前は?

解答:アブ・シンベル大神殿

問4.ラムセス2世の治世下で、古代エジプトの繁栄を支えた要因を3つ挙げよ。

解答:ナイル川の恵みと農業の発展、活発な交易と国際関係、建築と芸術の発展