アメリカ独立戦争をわかりやすく解説|きっかけのボストン茶会事件から結末まで簡単理解

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アメリカ独立戦争を簡単に解説!

アメリカ独立戦争は、13植民地がイギリスからの独立を目指して戦った戦争。

1775年にレキシントン・コンコードの戦いで始まり、1776年7月4日に独立宣言が発表された。

1781年のヨークタウンの戦いで植民地側がイギリス軍に勝利し、1783年のパリ条約で独立が承認された。

近代史上で初めて植民地が宗主国から独立を達成した戦争となった。

アメリカ独立戦争とは?

アメリカ独立戦争とは?
  • 1775年から1783年にかけて、北米13植民地イギリスで行われた戦争
  • 戦争の結果、アメリカはイギリスから独立を勝ち取り、アメリカ合衆国が誕生した

アメリカ独立戦争の概要

アメリカ独立戦争は、1775年から1783年にかけて、北米13植民地イギリスの間で戦われました。この戦争の結果、アメリカはイギリスからの独立を勝ち取り、新たな国家であるアメリカ合衆国誕生しました。アメリカ独立戦争は、近代史上で初めて植民地が宗主国から独立を達成した革命的な出来事として知られています。

戦争の結果によってアメリカ合衆国の誕生

独立戦争の勝利により、13の植民地はそれぞれ主権を持つ州となり、連邦制国家であるアメリカ合衆国を形成しました。合衆国憲法の制定により、三権分立に基づく共和制の政治体制が確立されました。アメリカ独立戦争は、単なる一地域の独立にとどまらず、民主主義や自由、平等といった理念の実現に向けた重要な一歩となったのです。

アメリカが独立戦争に至った背景

アメリカが独立戦争に至った経緯
  • 七年戦争後のイギリスによる植民地への課税強化に対し、植民地側が反発
  • ボストン茶会事件をきっかけに独立の気運が高まり、第1回・第2回大陸会議で独立が議論された

アメリカ13植民地とイギリスの関係

アメリカの13植民地は、17世紀初頭からイギリスの統治下に置かれていました。植民地はイギリスから自治を認められていましたが、貿易や産業政策など重要事項の決定権はイギリス議会が握っていました。次第に植民地の経済力が増大するにつれ、この政治的従属関係に不満が募っていきました。

七年戦争後のイギリスによる植民地統制強化

1756年から1763年まで続いた七年戦争は、イギリスの勝利に終わりましたが、莫大な戦費負担を生みました。戦後、イギリスは財政難を理由に植民地に対する課税を強化します。これに対し、植民地側は「代表なくして課税なし」を主張し、強く反発しました。

砂糖法、印紙法など植民地への課税に対する反発

イギリス議会は1764年に砂糖法を、翌1765年には印紙法を成立させ、植民地に新税を課しました。これらの法律に反対し、植民地ではイギリス製品の不買運動が展開されました。1773年に成立した茶税法への抗議行動として、ボストン茶会事件が起こります。

ボストン茶会事件と第1回・第2回大陸会議

1773年12月、ボストンの植民地住民が東インド会社の茶を海に投棄する事件が発生しました。怒ったイギリス議会ボストン港を封鎖すると、各地の植民地が結束を強めます。1774年9月には第1回大陸会議が開かれ、イギリスへの抗議の方法が話し合われました。さらに1775年5月の第2回大陸会議では、独立をめぐる議論が本格化します。そして遂に、1776年7月4日、独立宣言が発表されるに至ったのです。

独立宣言から戦争終結まで

独立宣言から戦争終結まで
  • 1776年7月4日、独立宣言が発表され、戦争が本格化
  • サラトガの戦いでの勝利を機にフランスやスペインが参戦し、1783年のパリ条約アメリカの独立が承認された

独立宣言と戦争の開始

1776年7月4日、フィラデルフィア第2回大陸会議において、トマス・ジェファーソン起草の独立宣言が採択されました。独立宣言は、人間の基本的権利や統治の正当性について述べた上で、イギリス王ジョージ3世による圧制を列挙し、13植民地の独立を宣言しました。これを機に、アメリカ独立戦争は本格的な戦闘段階に突入します。

主要な戦いと参戦国の動向

ジョージ・ワシントンが率いる大陸軍は、当初戦況に苦しみました。しかし1777年10月のサラトガの戦い大陸軍が勝利を収めると、戦局は好転します。この勝利を機に、宿敵イギリスへの牽制を狙うフランスが独立側への支援を決定。1778年にはフランスと同盟条約が結ばれ、翌1779年にはスペインも参戦します。

戦争の終結と独立の達成

フランス軍の支援を得た大陸軍は、1781年10月のヨークタウンの戦いイギリス軍降伏に追い込みます。この戦いでの勝利により、アメリカ独立戦争は事実上の終結を迎えました。そして1783年9月、パリ条約が締結され、アメリカ13州の独立が国際的に承認されたのです。イギリスの植民地支配からの脱却を勝ち取ったアメリカは、新たな一歩を踏み出すこととなりました。

独立後のアメリカ

独立後のアメリカ
  • 合衆国憲法の制定により、連邦共和国としての政治体制が確立
  • 独立により貿易の自由が拡大し経済が発展する一方、奴隷制の存続など社会問題も残された

パリ条約とアメリカの独立承認

1783年9月3日、アメリカイギリスの間でパリ条約締結され、アメリカ13州の独立が国際的に承認されました。条約では、ミシシッピ川以東の広大な領土がアメリカに割譲されたほか、アメリカ人の平等な通商の権利などが定められました。独立を勝ち取ったアメリカは、新国家としての一歩を踏み出したのです。

合衆国憲法の制定と政治体制の確立

独立後のアメリカでは、連邦政府と州政府の権限関係をめぐり、連邦派と反連邦派の対立が続きました。1787年5月、各州の代表が集まり憲法制定会議が開かれ、新憲法の起草が始まります。激しい議論の末、同年9月に合衆国憲法が制定され、連邦共和国としてのアメリカの基盤が整いました。三権分立の導入や権利の章典の採択など、国民の権利と民主主義を保障する仕組みが整備されたのです。1789年、初代大統領にジョージ・ワシントンが就任し、新国家の舵取りが始まりました。

独立がもたらした社会変化と影響

独立によって、アメリカは経済面でも大きな変化を遂げます。イギリスの重商主義的規制から解き放たれ、貿易の自由が拡大しました。豊かな天然資源を背景に農業や商工業が発展し、都市の成長も加速しました。西部開拓の進展とともに、国土は大西洋岸からミシシッピ川流域へと拡大していきます。一方で、建国の理念とは裏腹に、奴隷制度の存続など深刻な社会問題も残されました。南北戦争に至る奴隷制の是非をめぐる対立は、この時期に芽生えていたのです。アメリカ独立戦争は、新国家の誕生という輝かしい成果をもたらした反面、その理想と現実の間の矛盾を浮き彫りにする契機ともなったのでした。