【ディズレーリ】功績や時代背景を世界史の試験対策として完全解説!

ディズレーリ

必ず押さえるべき重要ポイント!

ディズレーリ1804年生まれで、1881年に没しました。「アイアンサイドのディズレーリ」とも呼ばれ、イギリスの保守党党首を務めました。首相としては2度就任し、特に外交面では「光栄ある孤立」を唱え、ヨーロッパ大陸の国々と一定の距離を保つ政策をとりました。

また、東方問題に際してはオスマン帝国の保全を目指し、ロシアの南下を阻止するための外交を展開しました。さらにインド女帝の称号をヴィクトリア女王に贈るなど、大英帝国の威信を高めることにも尽力しました。

ディズレーリとは?生い立ちから政治家になるまで

ディズレーリのプロフィール画像
重要ポイント!
  • ディズレーリは裕福なユダヤ系移民の家に生まれ、幼少期にキリスト教に改宗した。
  • 文筆活動で頭角を現し、議員に当選後は保守党に転じて党内で台頭した。

ユダヤ系の家に生まれ、政治家を志すまで

ベンジャミン・ディズレーリは1804年、ロンドンのユダヤ系移民の家庭に生まれました。父はイタリアから移住した裕福な商人で、英国教会に改宗したため、ディズレーリも幼少期にキリスト教徒となりました。若い頃はロマン主義文学に傾倒し、小説を執筆。政治への関心も芽生え始めました。

文筆活動から政界入りするまでの道のり

ディズレーリは20代で『ヴィヴィアン・グレイ』などの政治小説を発表し、文壇で脚光を浴びます。1837年の総選挙では下院議員に立候補しましたが落選。再選挙で初当選を果たし、議会活動を開始しました。当初は自由党系でしたが、その後保守党に転じ、党内で頭角を現していきました。

ディズレーリの政治思想と主な政策

重要ポイント!
  • 「一国保守主義」を掲げ、国家の積極的な社会問題への介入を主張した。
  • 第2次選挙法改正による選挙権拡大、労働者保護政策、帝国主義的な対外政策などに取り組んだ。

「一国保守主義」の提唱と国内改革

ディズレーリの掲げた「一国保守主義」とは、自由放任の限界を認め、国家が積極的に社会問題に介入すべきとの理念です。1867年の第2次選挙法改正では、労働者への選挙権拡大を実現。労働時間の規制など、労働者の権利保護にも取り組みました。穀物法廃止を支持し、自由貿易を促進しました。

外交面での積極的な帝国主義政策

外交では、ロシアの南下政策を警戒し、東方問題に積極介入。1878年のベルリン会議では、バルカン情勢の安定に貢献しました。アフガニスタン紛争では、ロシアの影響力排除を狙って開戦。ズールー戦争でも、南アフリカの覇権を巡って軍事行動に踏み切りました。

スエズ運河株の取得と女王即位のインド帝冠法

1875年、ディズレーリはスエズ運河会社の株式を秘密裏に購入。インドへの海上ルートを確保し、大英帝国の戦略的優位性を高めました。1876年には、ヴィクトリア女王にインド皇帝の称号を与える「インド帝冠法」を制定。インド支配の正当性を内外にアピールし、皇帝の権威を示しました。

ディズレーリの功績と歴史的評価

重要ポイント!
  • 保守党を近代化し、2度の首相を務めて党勢拡大に尽力した。
  • 大英帝国の威信と発展に貢献したが、強硬外交は自由主義者から批判も浴びた。

保守党の近代化と2度の首相就任

ディズレーリは、旧態依然とした保守党の刷新に尽力。党勢拡大と近代化を進め、首相の座を2度(1868年と1874〜80年)にわたり射止めました。78年の選挙では自ら選挙運動を展開し、大勝利を収めています。政権交代を経験しつつも、党首の座を死去する1881年まで守り抜きました。

大英帝国の繁栄と国際的地位向上への貢献

首相として、ディズレーリはヴィクトリア女王の厚い信任を得ながら、大英帝国の発展に尽くしました。植民地の拡大や東方問題への介入など、強硬な外交で国際的威信を高めました。商工業の振興を通じて経済的繁栄をもたらし、ヴィクトリア朝の黄金期を現出したのです。

一方で批判も受けた対外政策

グラッドストンに代表される自由主義勢力からは、ディズレーリの帝国主義外交が厳しく批判されました。特にアフガン紛争などでの強硬姿勢は、不要な戦費膨張を招き、平和主義に反するとの非難を浴びました。世論の反発もあり、1880年の選挙で保守党は大敗を喫しています。

ディズレーリの生きたヴィクトリア朝の時代背景

重要ポイント!
  • 産業革命と自由貿易の進展で経済発展し、世界の帝国としての道を歩み始めた。
  • 自由主義と帝国主義が相克する中、選挙法改正で議会制民主主義が発展した。

世界の工場から世界の帝国へ

産業革命の進展で「世界の工場」となったイギリスは、自由貿易を軸に資本主義経済を加速させました。大量生産と海外市場開拓が不可欠となり、植民地の獲得競争が激化。他国に先んじて世界中に勢力を拡げ、「世界の帝国」としての道を歩み始めたのです。

自由主義と帝国主義の相克

時代の趨勢は、自由放任から国家介入へと移りつつありました。自由貿易か保護貿易かの対立も顕在化。社会問題への関心から、功利主義的な社会政策の要求が高まりました。他方、世界分割競争の中で帝国主義が台頭。自由主義と帝国主義の相克が時代を特徴づけていました。

議会制民主主義の発展と選挙法改正

19世紀を通じ、議会の民主化が着実に進展。1832年の第1次選挙法改正から、67年、84年の選挙法改正を経て、選挙権は労働者層にまで拡大されました。代表民主制と政党政治の基盤が整備され、保守党と自由党による二大政党制が定着。近代議会制が確立したのです。

試験で問われる重要ポイント

ディズレーリの出自と経歴

  • ユダヤ系移民の家庭に生まれ、幼少期にキリスト教へ改宗したこと。
  • 文筆家から政界入りし、保守党の指導者へと上り詰めたこと。

一国保守主義の特徴

  • 自由放任から国家の社会的役割を重視する路線転換を図ったこと。
  • 選挙権拡大や労働者保護などの国内改革に取り組んだこと。

東方問題やインド統治における政策

  • ロシアの脅威に対抗し、東方問題に積極的に介入したこと。
  • スエズ運河株取得で、インドへの影響力強化を狙ったこと。
  • インド帝冠法により、インド統治の正当性を示したこと。

確認テスト


問1:ディズレーリが最初に身を置いた政党は( )党である。

解答:自由党


問2:一国保守主義が目指したのは( )の拡大である。

解答:選挙権


問3:自由主義との違いで一国保守主義が目指したのは(  )への国家の関与である。

解答:社会政策

問4:ディズレーリはロシアの南下政策を支持した。○か×か?

解答:× ロシアの南下政策を阻止するために東方問題に介入した。