【徹底解説】ロベスピエール – フランス革命の英雄から独裁者への転落

ロベスピエール

フランス革命の指導者ロベスピエール。法の支配と民主主義を掲げて旧体制打倒に尽力した彼は、やがて恐怖政治を推し進める独裁者へと変貌を遂げます。ブルジョワの出身でありながら平民の代弁者となり、ジャコバン派の先頭に立って革命を主導した波乱の生涯。理想に突き進んだ果てに、革命の理念を裏切ってしまったのでしょうか。ロベスピエールという人物の功罪を、誕生から処刑までを通して解き明かしていきます。

ロベスピエールの生い立ちと法律家としての活動

ロベスピエールのプロフィール画像

1.1 小ブルジョワ家庭の出身と法律の勉強

マクシミリアン・ロベスピエールは、1758年にフランス北部アラスの小ブルジョワの家庭に生まれました。父は弁護士でしたが、ロベスピエールが幼い頃に家族を捨てて失踪。母も早くに亡くなったため、彼は親戚に育てられます。 パリの名門ルイ・ル・グラン学院で奨学金を得て学んだロベスピエールは、古典古代の共和主義思想に傾倒。法律を学び、故郷アラスで弁護士となりました。

1.2 三部会におけるル・ティエールの代表として活躍

1789年5月、三部会が召集されるとロベスピエールは平民階級ル・ティエールの代表に選出されます。王権神授説を否定し、課税における特権身分の不平等を批判する急進的な主張で頭角を現しました。 例えば、ル・ティエールに二倍の議席を与えるべきだと訴え、国王の拒否権を制限するよう求めるなど、民主化と平等の理念を説きました。この活動が、後の革命におけるロベスピエールの役割の布石となります。

重要ポイント!
  • ロベスピエールは、1758年にフランス北部のアラスで生まれ、小ブルジョワの家庭で育った。
  • 法律を学び、弁護士として活動する中で、啓蒙思想に傾倒し、三部会では第三身分の代表として活躍した。

フランス革命におけるロベスピエールの役割

アンシャンレジームを風刺した画

アンシャンレジームを風刺した画(第三身分者が第一身分の聖職者と第二身分の貴族を背負う)

2.1 国民議会での活動と急進的な主張

1789年6月、ル・ティエールは単独で国民議会を宣言し、ロベスピエールもその一員となりました。議会で彼は、教会財産の国有化や普通選挙制の導入を主張。封建的な諸制度の撤廃を訴え、革命を先鋭化させていきます。 特に国王の拒否権に強く反対し、国民主権の原理を損なうものだと批判しました。また死刑制度にも異議を唱え、法の下の平等を貫こうとする姿勢は、急進派の支持を集めました。

2.2 ジャコバン派の指導者として台頭

1790年、ロベスピエールはジャコバン・クラブに参加。穏健な立憲君主派に対抗し、熱烈な共和主義を掲げて次第に影響力を拡大していきました。卓越した弁舌で民衆を扇動し、王党派をはじめとする反革命勢力の弾圧を唱えます。 ジャコバン派の過激路線を主導する中で、ロベスピエールは「不屈の愛国者」として名声を得ていきました。階級を超えて革命を成し遂げる使命感から、独善的とも言える強硬姿勢を貫いたのです。

重要ポイント!
  • 国民議会では急進的な改革を主張し、ジャコバン派の指導者として台頭した。
  • 国王処刑を主導し、共和制の樹立に尽力したが、革命の過激化にも関与した。

恐怖政治の実行と独裁者としてのロベスピエール

3.1 公安委員会の設置とギロチンの恐怖

1793年になると、ロベスピエールは国民公会で「公安委員会」の設置を主導。反革命容疑者の逮捕と裁判に大きな権限を与え、恐怖政治の火蓋を切りました。 法の番人を自認したロベスピエールでしたが、公安委員会では容疑者に対する法的手続きを軽視。次々とギロチンにかけられる「恐怖」の時代が幕を開けます。

3.2 反対派の粛清と最高存在の祭典

恐怖政治下では王党派だけでなく、革命内の反対派も容赦なく処刑されました。ロベスピエールの独裁色が強まる中、ダントンらの穏健派も反革命の罪で処刑されます。 一方で彼は1794年、「最高存在の祭典」を開催。理神信仰に基づく祭典を国家的行事とし、自らが主宰することで権力の頂点に立ったのです。

重要ポイント!
  • 公安委員会の一員となり、反革命容疑者の大量処刑を主導し、恐怖政治を推進した。
  • 革命政府内の反対派を次々と粛清し、独裁色を強めていった。

ロベスピエールの失脚と処刑

4.1 テルミドールの反動とロベスピエールの逮捕

恐怖政治への反発が高まる中、1794年7月26日のテルミドールのクーデターが勃発しました。独裁への恐怖から結束した穏健派が、国民公会でロベスピエールらを逮捕します。 かつての盟友だったバレールやタリアンも反ロベスピエール派に回り、「独裁者」として厳しく糾弾されました。

4.2 裁判を経ずにギロチンにかけられる

ロベスピエールは弟や側近とともにパリ市庁舎に立てこもりますが、包囲した国民軍に逮捕されます。この混乱の最中、下顎を撃ち抜かれて重傷を負いました。 そして翌27日、ロベスピエールは裁判も尋問もなく処刑されることが決定。かつて自分が送り込んだ者と同じ運命を、ギロチンの断頭台でたどったのです。

重要ポイント!
  • テルミドールの反動により、ロベスピエールは突如として失脚し、逮捕された。
  • 裁判を経ずに、かつての同志とともにギロチンで処刑された。

ロベスピエールの評価と歴史的意義

5.1 革命の理想主義者から独裁者へ

ロベスピエールは法の下の平等や民主主義を理想とし、特権階級打倒に情熱を傾けました。しかし革命の混乱が極まる中で、理想の実現のためには手段を選ばぬ獰猛な一面を見せるようになります。 言論統制、思想弾圧、反対派の抹殺。かつては批判した専制政治的な手法で、革命の敵を排除していったのです。英雄から独裁者へと転落した彼の姿は、革命のアイロニーとも言えるでしょう。

5.2 フランス革命における功罪

フランス革命に命を捧げ、民主共和制の実現に突き進んだロベスピエールの功績は大きいと言えます。民衆の代弁者として革命を主導し、旧体制打倒に大きく貢献しました。 しかし革命の過激化を招いた責任も避けられません。恐怖政治による弾圧の嵐は、多くの犠牲者を生み出しただけでなく、革命そのものの正当性を危うくしたのです。 理想と現実、革命と専制。ロベスピエールの生涯は、フランス革命のダイナミズムと矛盾を凝縮したものと言えるでしょう。

重要ポイント!
  • ロベスピエールは、革命の理想主義者から独裁者へと変貌を遂げた象徴的な人物である。
  • 彼の功罪は、フランス革命の複雑な内実を物語っており、理想と現実の乖離、革命と専制の関係性を示唆している。

試験で問われる重要ポイント

  • ロベスピエールはブルジョワ出身で、法律家として活動した。
  • 三部会ではル・ティエールの代表として王権批判の先鋒に立った。
  • 国民議会で共和制を主張し、ジャコバン派の指導者として台頭。
  • 公安委員会を設置して恐怖政治を推進。多数の処刑者を出した。
  • ロベスピエールは独裁化したとしてクーデターで失脚、処刑された。
  • 理想の革命家から独裁者への転落は、フランス革命の皮肉とも言える。

確認テスト

問1 ロベスピエールが所属した急進政治結社は何か。

a) ジロンド派
b) 山岳派
c) ジャコバン派
d) フィヨン派

解答:c) ジャコバン派です。ロベスピエールはジャコバン派に所属しており、フランス革命期における最も影響力のある政治グループの一つでした。

問2 恐怖政治を主導した国民公会の委員会は何か。

a) 公安委員会
b) 救済委員会
c) 総裁政治委員会
d) 革命裁判所

解答:a) 公安委員会です。恐怖政治の期間中、公安委員会は国民公会によって設立され、革命の敵とみなされる者たちに対する厳しい監視と弾圧を行いました。

問3 ロベスピエールを失脚させたクーデターを何というか。

a) ブリュメールのクーデター
b) テルミドールのクーデター
c) フリュクティドールのクーデター
d) ヴァンデミエールのクーデター

解答:b) テルミドールのクーデターです。1794年7月27日のテルミドールのクーデターにより、ロベスピエールは失脚し、翌日に処刑されました。

問4 ロベスピエールが主宰した宗教的祝祭は何か。
a) 最高存在の祭典
b) 連邦祭
c) 理性の祭典
d) 革命記念祭

解答: a) 最高存在の祭典です。ロベスピエールはこの祭典を主導し、理性と啓蒙の理念に基づいた新しい道徳的秩序を確立しようと試みました。

問5 三部会でロベスピエールが代表を務めた階級は何か。
a) 聖職者階級
b) 貴族階級
c) 平民階級(ル・ティエール)
d) ブルジョワ階級

解答:c) 平民階級(ル・ティエール)です。三部会において、ロベスピエールは平民階級の代表として活動し、彼らの権利と利益を守ることに尽力しました。

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