リヴィングストン: 大陸アフリカの謎を解き明かした偉大な探検家。その生涯と業績を5分で解説

リヴィングストン

19世紀、「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカの探検に生涯を捧げた英国人がいます。デイヴィッド・リヴィングストン。伝道師から探検家へと転身し、ナイル川源流の探求やビクトリア瀑布の発見など、数々の功績を残しました。植民地主義への影響など光と影の両面がありますが、奴隷制撲滅を訴え続けた姿は今なお評価されています。

リヴィングストンとは?

リヴィングストンのプロフィール画像

19世紀の英国人探検家

デイヴィッド・リヴィングストン(1813-1873)は、19世紀のイギリス人探検家です。スコットランドに生まれ、幼少期から冒険心に溢れた少年でした。医学と神学を学び、伝道師として鼓舞されたリヴィングストンは、1841年にアフリカ大陸へ向かいます。

アフリカ大陸の内部を探険した著名人

当時、ヨーロッパではアフリカ大陸の内部はまだ謎に包まれていました。リヴィングストンは現地の言語や風習を学びながら、アフリカ各地を探検。ナイル川の源流やビクトリア瀑布など、数々の発見をしました。一方でアフリカ奥地に広がる奴隷貿易の実態を目の当たりにし、その撲滅を訴えるようになります。

重要ポイント!
  • 19世紀のイギリス人探検家で、スコットランド出身の伝道師として知られる。
  • アフリカ大陸内部の探検を行い、ナイル川源流やビクトリア瀑布など数々の発見をした。

リヴィングストンの生涯

スコットランド出身の伝道師としての出発

リヴィングストンは1813年、スコットランドの貧しい家庭に生まれました。10代で綿工場に勤めながら、自力で医学と神学を学びます。1838年、ロンドン伝道会社に志願し、アフリカでの伝道を志すようになりました。1841年、南アフリカに派遣され伝道師としての活動を開始します。

アフリカ大陸への強い関心と探検活動

伝道の傍ら、リヴィングストンはアフリカの地理や文化への関心を深めていきました。1849年から、ザンベジ川流域の探検に乗り出します。現地の族長との友好関係を築きながら、内陸部の踏査を続けました。1856年、約4000マイルに及ぶ東西横断探検を成し遂げ、ヨーロッパで一躍有名になります。

重要ポイント!
  • 1813年、スコットランドの貧しい家庭に生まれ、医学と神学を学び伝道師となる。
  • 1841年にアフリカ南部に派遣され、伝道活動と並行して探検に情熱を注いだ。

アフリカ探索の歩み

ナイル源流の発見と大河の究明

古代から「ナイル川の源流」の謎は多くの探検家を魅了してきました。リヴィングストンもその一人でした。1866年、タンガニーカ湖や北東部のニアサ湖を探検。ナイル川につながる河川の存在を突き止めます。生涯をかけたナイル源流の探求は、アフリカ地理の解明に大きく寄与しました。

ビクトリア瀑布の発見と命名

1855年11月、リヴィングストンはザンベジ川上流で現地の案内人から「モシ・オア・トゥニャ(雷鳴の煙)」と呼ばれる巨大な瀑布の存在を聞きつけます。現地に赴いた彼は、幅1700m、落差100mにも及ぶ壮大な滝を目の当たりにしました。リヴィングストンはこれを「ビクトリア瀑布」と名付け、その存在を世界に知らしめました。

重要ポイント!
  • ナイル川の源流解明に情熱を注ぎ、タンガニーカ湖やニアサ湖周辺を踏査した。
  • 1855年、ザンベジ川上流で巨大瀑布を発見し、ビクトリア瀑布と命名した。

リヴィングストンとアフリカ植民地化

奴隷制撲滅の呼びかけと英国の支援

探検の過程で、リヴィングストンはアラブ人商人による奴隷貿易の残虐さを目撃します。イギリスに対し奴隷制撲滅を訴え、現地での布教と探検活動の支援を求めました。要請は功を奏し、イギリス政府の援助を得ながら探検を続けることになりました。

植民地化への懸念と最晩年の抗争

しかし次第にリヴィングストンは、探検の後押しが欧州列強のアフリカ分割・植民地化を助長しているのではと危惧を抱くようになります。晩年は現地の部族と敵対するアラブ人との戦闘に身を投じました。1873年5月1日、アフリカの地で熱病により永眠。現地の人々に慕われながらその生涯を閉じました。

重要ポイント!
  • 探検中に目撃した奴隷貿易の残虐さを訴え、英国政府の支援を得て撲滅運動を展開した。
  • 晩年は探検が欧州列強のアフリカ分割を助長していることを憂慮し、現地の部族を支援した。

リヴィングストンの業績と評価

アフリカ大陸理解の深化への貢献

リヴィングストンの探検により、「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカの地理的知識は飛躍的に進歩しました。ナイル川源流の発見、ビクトリア瀑布の命名など、数々の業績を残しました。また、アフリカ現地の言語や文化への造詣も深く、人類学的にも大きな功績を残しています。

探検家として名高い偉人としての評価

リヴィングストンの名は、コロンブスやマゼランと並ぶ世界的な探検家として知られています。特にイギリスでは国民的英雄として称えられ、数多くの伝記が書かれてきました。一方、アフリカ植民地化を助長したとの批判もあり、功罪両面での評価がなされています。それでも、アフリカ探検の先駆者であり、奴隷制反対を貫いた人道主義者としての姿は高く評価されています。

重要ポイント!
  • アフリカ内陸部の地理的知識を飛躍的に高め、人類学的にも大きな功績を残した。
  • 世界的探検家として知られる一方、アフリカ植民地化への影響をめぐり評価は分かれている。

試験で問われる重要ポイント

リヴィングストンの探検活動と成果

  • アフリカ大陸内陸部の探検と地理的知見の集積
  • ナイル川源流の探求と河川網の解明 – ビクトリア瀑布の発見と命名
  • ザンベジ川流域とタンガニーカ湖周辺の探検 植民地主義とアフリカ探索の関係
  • 奴隷貿易の実態告発と撲滅運動
  • イギリス政府の支援とアフリカ分割への影響
  • 探検活動が与えた植民地主義への影響 探検家リヴィングストンの歴史的位置づけ
  • アフリカ探検史における先駆者としての評価
  • 奴隷制度撲滅を訴え続けた人道主義者の姿
  • イギリス国民的英雄としての顕彰
  • アフリカ植民地化への寄与をめぐる評価の両面性

確認テスト

問1 リヴィングストンが発見し、女王の名を冠して命名した瀑布は何でしょう?
a. ナイアガラの滝
b. ビクトリア瀑布
c. イグアスの滝

b. ビクトリア瀑布

問2 リヴィングストンが探検の過程で目撃し、撲滅を訴えた非人道的な制度とは?
a. カースト制度
b. 奴隷貿易
c. 人身御供

b. 奴隷貿易

問3 リヴィングストンの死後、彼の遺体が運ばれ埋葬された場所はどこ?
a. ウェストミンスター寺院
b. セントポール大聖堂
c. ケンジントン宮殿

a. ウェストミンスター寺院

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