世界恐慌をわかりやすく解説|世界的な不景気の原因から影響まで簡単理解

世界恐慌をわかりやすく解説のアイキャッチ画像

世界恐慌を簡単に解説!

世界恐慌は、1929年のアメリカにおける株式市場の大暴落に端を発した世界的な不況。

株価の暴落によって銀行が倒産し、大量の失業者が発生。この不況は、国際金融や貿易の結びつきを通じて、ヨーロッパや日本にも波及。各国はブロック経済への移行や関税引き上げなどの保護貿易政策をとったため、世界貿易が縮小し、不況に拍車がかかった。

世界恐慌は、大衆社会の出現、ファシズムの台頭、第二次世界大戦の遠因となった。

世界恐慌とは?

世界恐慌とは?
  • 1929年にアメリカで始まった大恐慌が世界各国に波及し、1930年代初頭の世界経済を大混乱に陥れた出来事
  • 株価大暴落による金融恐慌世界的な不況長期化し、社会や政治、国際関係に多大な影響を及ぼした

世界恐慌の概要

世界恐慌とは、1929年アメリカで始まった大恐慌世界各国に波及し、1930年代初頭の世界経済を大混乱に陥れた出来事です。株価の大暴落により金融恐慌が起こり、企業倒産や大量失業が相次ぎました。各国の輸出入が激減し、保護貿易主義が台頭世界的な不況が長期化しました。
世界恐慌の発端は、1929年10月24日のニューヨーク株式市場の大暴落でした。投資家の過熱した株式投機が急激に収縮し、株価指数は一日で11%以上も下落。「暗黒の木曜日」と呼ばれるこの日を境に、世界経済は深刻な不況のどん底へと落ち込んでいくことになります。

世界恐慌の与えた影響

世界恐慌は、1930年代の社会や政治、国際関係に多大な影響を及ぼしました。
経済面では、先進国を中心に壊滅的な打撃を受けました。アメリカのGNPは1929年から1933年にかけて約3分の1に減少。失業率は25%を超え、約1300万人が職を失いました。ドイツでも600万人以上が失業し、中産階級が没落。日本でも昭和恐慌が発生し、デフレが長引きました。
社会的には、大量の失業者が生まれ、格差と貧困が拡大。特にアメリカでは、家を失った人々によるテントビレッジ「ホーバービル」ができるなど、深刻な状況に陥りました。
政治の分野でも、既成政党への不信から急進主義が台頭。ドイツではナチ党が勢力を伸ばし、日本でも軍部の台頭を招きました。結果的に世界恐慌は、第二次世界大戦の遠因の一つともなり、20世紀の歴史に大きな爪痕を残しました。

世界恐慌が起きた背景

世界恐慌が起きた背景
  • 1920年代のアメリカの好景気過熱した投資ブームが背景
  • 1929年10月24日の株価大暴落「暗黒の木曜日」を機に、金融システムは大混乱に陥り、世界経済も連鎖的に破綻

1920年代のアメリカ経済と投資ブーム

世界恐慌を招いた背景には、1920年代のアメリカの好景気投機ブームがありました。第一次世界大戦後、戦勝国となったアメリカは「黄金の20年代」と呼ばれる空前の好景気を謳歌。大量生産・大量消費型の経済が確立され、新興企業の台頭で株式市場は活況を呈しました。
大衆の間にも投資ブームが広がり、信用取引を利用して株を購入する個人投資家が増加。「永遠の好景気」を信じ、借金をしてまで株に手を出す投機熱は過熱し、株価はファンダメンタルズから乖離した水準にまで上昇しました。一方で農産物価格の低迷など、不安定要因を抱えていたのです。

1929年10月24日、ブラックマンデーの発生

1929年10月24日木曜日、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落しました。売り注文が殺到し、ダウ平均株価は一日で11%以上の下落。パニックに陥った投資家たちによる投げ売りで、株価の下落に拍車がかかりました。
暗黒の木曜日」と呼ばれるこの株価大暴落により、投資家の資産は一瞬にして灰燼に帰しました。多額の借金を抱えた個人投資家は債務不履行に陥り、証券会社の倒産も相次ぎました。金融システムは大混乱に陥り、アメリカ経済は一気に悪化の一途をたどることとなったのです。

株価大暴落からの金融恐慌、世界経済の混乱へ

株価大暴落による打撃はアメリカ国内にとどまらず、世界経済にも波及していきました。国際金本位制の下、ドルと金は交換可能だったため、外国人投資家によるドル売りが進行。各国は金準備を防衛するため、金利を引き上げ、景気はさらに悪化しました。
ヨーロッパ諸国でも、アメリカ発の不況の影響を受け、金融危機が発生。オーストリアの大手銀行の倒産をきっかけに、ドイツでも取り付け騒ぎが相次ぎました。重債務国の債務不履行なども起こり、国際金融システムは機能不全に陥ったのです。
世界恐慌前のグローバル経済は、アメリカの繁栄に支えられた不安定な基盤の上に成り立っていました。その前提が崩れ去った時、世界経済は連鎖的に破綻していったのでした。

各国を襲った深刻な不況、世界恐慌の広がり

各国を襲った深刻な不況、世界恐慌の広がり
  • アメリカでは大量失業個人消費の低迷が深刻化し、所得格差と貧困が拡大した
  • 欧米諸国にも波及し、貿易の縮小保護主義が台頭
  • 日本でも昭和恐慌デフレスパイラルに見舞われた

アメリカでの大量失業、個人消費の低迷

世界恐慌が最も深刻だったのは発端となったアメリカでした。1929年から1933年にかけて、アメリカのGNPは3分の1近くまで落ち込み、失業率は25%を超える水準に。約1300万人が職を失い、賃金も大幅に低下しました。
個人消費は低迷し、大量生産された商品は売れ残る事態に。倒産や廃業が相次ぎ、特に農業や中小企業への打撃は大きなものでした。住宅ローンの焦げ付きで家を失った人々は、「ホーバービル」と呼ばれるテント村を作って暮らしました。
フーバー大統領の不況対策は不十分で、所得格差と貧困が拡大。1930年代を通して、アメリカ国民は長く苦難の時代を過ごすこととなりました。

欧米諸国に波及、貿易の縮小と保護主義台頭

アメリカ発の不況はたちまち欧米諸国に波及しました。ドイツでは、賠償金支払いのためアメリカから資金を借り入れていたため、金融危機が深刻化失業者は600万人以上に達し、特に中間層の没落が著しくなりました。
イギリスでも、輸出の激減により重化学工業が打撃を受けました。失業保険の支出が膨らみ金本位制から管理通貨制度への移行を余儀なくされました。フランスでは不況の影響が比較的軽微だったものの、政情不安が続きました。
世界的に貿易が縮小し、各国は関税引き上げや輸入制限などの保護主義的政策を実施。ブロック経済化が進行する一方、国際協調は後退。世界恐慌がもたらしたのは、経済のグローバル化の行き詰まりでもありました。

日本にも影響、昭和恐慌とデフレスパイラル

世界恐慌は、日本にも大きな影響をもたらしました。輸出の激減生糸や綿織物工業が打撃を受け、農村では米価の暴落で深刻な不況に。都市でも失業者があふれ、社会不安が広がりました。
昭和恐慌と呼ばれるこの不況は、デフレスパイラルを引き起こしました。物価下落が所得減少を招き、さらなる物価下落を招くという悪循環です。金解禁による金流出も重なり、日本経済の低迷は長期化しました。
社会の閉塞感は、既成政治への不信を招きました。中間層の没落は、国家主義的風潮を助長。軍部の台頭を招き、やがて対外侵略を活発化させる遠因ともなったのです。

世界恐慌からの脱出、各国の対応

世界恐慌からの脱出、各国の対応
  • アメリカニューディール政策で積極的な不況対策を実施し、経済の回復を図った
  • イギリス金本位制を離脱し管理通貨制度に移行
  • ドイツ日本ではファシズムが台頭し、対外侵略が活発化した

アメリカのニューディール政策と経済復興

世界恐慌からの脱出に、最も積極的に取り組んだのがアメリカでした。1933年に大統領に就任したルーズベルトは、ニューディール政策と呼ばれる一連の不況対策を実施。公共事業による失業対策農業調整法による農産物価格の安定化全国産業復興法による公正競争の促進などを図りました。
また金本位制を離脱し、ドルの切り下げを断行。輸出競争力を高めるとともに、インフレ政策により個人消費を喚起しました。連邦預金保険公社の設立で金融システムの安定化も図られました。
ニューディール政策の効果により、アメリカ経済は1930年代半ばから緩やかに回復失業率は低下し、個人消費も上向きました。完全な脱出は第二次世界大戦を待たねばならなかったものの、政府の積極的関与がもたらした成果は大きなものでした。

イギリスの管理通貨制度への移行

イギリスは、1931年に金本位制を離脱し、管理通貨制度に移行しました。ポンドの切り下げにより、輸出競争力の回復を図ったのです。大英帝国特恵関税制度の導入で、帝国内での貿易を促進することにも努めました。
また、失業対策としてはイギリス版ニューディールとも呼ばれる公共事業を実施。住宅建設などを通じて雇用を創出し、個人消費の下支えを図りました。
金本位制からの離脱は各国に伝播し、ブロック経済化に拍車をかける結果ともなりました。しかしイギリスの管理通貨制度への移行は、硬直的な金本位制の限界を示すものでもありました。ケインズ経済学の台頭を背景に、政府の市場への介入を是とする風潮が広がっていったのです。

ファシズム国家の台頭と対外侵略の活発化

世界恐慌は、一部の国で極端なナショナリズムを助長しました。経済の不安定化は、議会制民主主義への信頼を失墜させ、全体主義の台頭を招いたのです。
ドイツでは、1933年にナチス党が第一党になるとヒトラーが首相に就任国家社会主義体制を確立し、再軍備と対外侵略への道を歩み始めました。ユダヤ人への迫害も本格化し、第二次世界大戦への道を開いたのです。
日本でも、昭和恐慌下の社会不安を背景に軍部の発言力が強まりました。統制経済への傾斜を強め、軍拡と対外侵略を活発化。満州事変を機に中国への軍事進出を本格化させ、やがて日中戦争太平洋戦争へと突き進んでいくのでした。
世界恐慌は、戦間期の不安定な国際関係を一層悪化させる役割を果たしました。経済のブロック化と保護主義の高まりは、対立を先鋭化させ、第二次世界大戦勃発の伏線となったのです。各国は協調を欠いたまま対策を模索し、世界恐慌の深刻さに翻弄された時代でした。