【世界史】毛沢東の側近から失脚した林彪の生涯と功罪を徹底解説!【試験対策】

林彪

中国現代史を語る上で欠かせない人物の一人が林彪です。毛沢東の側近として権力を握った後、失脚した林彪の波乱に満ちた生涯は、今なお多くの謎に包まれています。
抗日戦争から文化大革命に至るまで、彼は中国の歴史の転換点に何度も登場しました。戦場での活躍で頭角を現し、政治の表舞台に躍り出ると、毛沢東と蜜月関係にあった林彪でしたが、やがて両者の間に亀裂が生じていきます。
1971年9月の「九一三事件」で失脚した林彪をめぐっては、クーデター計画の真偽を始め、今もなお不明な点が少なくありません。文革終結後は再評価の動きも出ていますが、依然として論争の的となっているのが実情です。
本記事では、若き日の軍人時代から文革期の党内ナンバー2に上り詰めるまでの経緯を詳しく追うとともに、九一三事件の経緯と歴史的影響について考察します。さらに試験対策として押さえておくべき論点も解説します。林彪という人物の功罪を通して、中国現代史の荒波をご一緒に辿ってみましょう。

林彪とは?若き日の軍人としての活躍

林彪のプロフィール画像

中国共産党軍の将校として抗日戦争に参加

林彪は1907年、湖北省の地主の家に生まれました。1925年に中国共産党に加入し、28年から紅軍に参加。30年代には抗日戦争に共産党軍の将校として従軍し、ゲリラ戦などで手腕を発揮しました。

国共内戦での戦功により将軍に昇進

1945年の抗日戦争終結後、国民党との内戦が本格化します。林彪は共産党軍の主力部隊を率い、各地で国民党軍を撃破。49年の建国までに、若くして将軍にまで昇進しました。

朝鮮戦争に志願軍司令官として出征

1950年に勃発した朝鮮戦争にも、中国人民志願軍司令官として参戦。米軍など国連軍を相手に善戦しましたが、53年の休戦まで膠着状態が続きました。

重要ポイント!
  • 中国共産党の将校として抗日戦争や国共内戦で活躍し、若くして将軍に昇進
  • 朝鮮戦争では志願軍司令官を務め、米軍など国連軍相手に善戦

建国後の党内での地位向上

毛沢東の信頼を得て党中央軍事委員会副主席に

建国後、林彪は最高指導者である毛沢東の信頼を得て、党・軍内で重要なポストに就きます。1950年代半ばには中央軍事委員会副主席となり、国防関連の権限を握りました。

文化大革命で国防部長に就任

1966年に始まった文化大革命では、毛沢東派の急先鋒として紅衛兵を支持。一方、劉少奇国家主席らとの対立を深めました。68年には国防部長に就任し、軍の実権を掌握します。

毛沢東の後継者と目される

文革の過程で林彪の影響力はピークに達し、党規約に「毛沢東の親密な戦友」と明記されるなど、毛の後継者とみなされるようになりました。

重要ポイント!
  • 建国後、毛沢東の信頼を得て党・軍の要職に就き、国防関連の権限を掌握
  • 文化大革命では国防部長として軍の実権を握り、毛の後継者とみなされるように 

毛沢東との対立と失脚

劉少奇批判に同調せず毛沢東と軍部の対立激化

1960年代末、党内の実権を巡り毛沢東と軍部の対立が深まります。林彪は毛の側近だった劉少奇批判に同調せず、次第に毛との溝が生じていきました。

九一三事件でクーデター計画発覚

1971年9月13日未明、林彪一家は突如、飛行機で逃亡を図ります。同日、彼がモンゴル方面に向かったと発表され、クーデター計画の疑いが持たれました。この九一三事件の真相は現在も不明な点が多いとされています。

モンゴル逃亡中に墜落死

逃亡に用いた飛行機はモンゴル領内で墜落。乗っていた林彪夫妻ら8名全員が死亡しました。この事件により、かつての英雄は一転、「野心家の反革命分子」として失脚することになります。

重要ポイント!
  • 劉少奇批判を巡り毛沢東と対立し、党内の実権争いが激化
  • 1971年の九一三事件でクーデター計画の疑惑が生じ、モンゴル逃亡中に墜落死 

林彪事件の真相と歴史的影響

クーデター計画の真偽をめぐり謎が残る

九一三事件については今なお多くの謎が残されています。林彪がクーデターを企図した証拠は乏しく、事件の真相究明は難しいとの指摘もあります。一方で、権力闘争に敗れた林彪が逃亡を図ったという見方が有力視されています。

反革命分子として批判される

事件後、中国政府は林彪を「野心家の反革命分子」と断じ、大々的な批判キャンペーンを展開。文革の混乱に拍車をかける一因となりました。ただ、この批判が歴史的事実に基づくものか疑問視する向きもあります。

毛沢東の権力闘争に敗れた象徴的存在

いずれにせよ、林彪事件は毛沢東の強大な権力を示す象徴的な出来事でした。文革期の極端な個人崇拝と政治闘争の弊害を浮き彫りにしたとも言えるでしょう。同時に、毛の権威失墜を招く遠因にもなったと指摘されています。

重要ポイント!
  • クーデター計画の真偽は不明な点が多いが、権力闘争に敗れた林彪の逃亡説が有力
  • 事件後、林彪は「反革命分子」と批判され、文革の混乱に拍車がかかる

後年の再評価の動き

文革後、名誉回復が進む

1976年の文革終結後、林彪に対する評価は徐々に見直されていきます。78年には名誉回復を求める動きが高まり、一部の罪状が取り消されました。ただ「反革命分子」のレッテルは残されたままでした。

軍事面での手腕を評価する声も


近年では軍事指導者としての林彪の手腕を評価する見解も出ています。抗日戦争や国共内戦での功績を無視できないとの指摘もあり、一概に反革命分子とは言い切れない面があるようです。

中国現代史の転換点としての林彪事件

林彪事件は毛沢東時代から鄧小平時代への転換点とも位置付けられます。毛の個人崇拝と専断的支配の弊害を象徴する出来事として、現在の中国の歴史教科書でも重要な位置を占めています。

重要ポイント!
  • 文革終結後、軍事指導者としての手腕を評価する見方も登場
  • 事件は毛沢東時代から鄧小平時代への転換点とも位置付けられる

試験で問われる重要ポイント

試験で問われる重要ポイント!
  • 抗日戦争から文革までの党・軍における林彪の役割の変遷を押さえる
  • 九一三事件の経緯とその歴史的影響の概略を理解する

建国初期の党・軍での林彪の役割

・中国共産党の将校として抗日戦争、国共内戦に参加し活躍したこと
・朝鮮戦争で志願軍司令官を務めたこと
・建国後、党・軍の要職に就き毛沢東の信頼を得たこと

文化大革命での動向と毛沢東との確執

・文革で国防部長に就任し、紅衛兵を支持したこと
・毛沢東の後継者とみなされるようになったこと
・劉少奇批判を巡り毛沢東と対立したこと

九一三事件の経緯とその後の影響

・1971年9月、モンゴル逃亡中に飛行機事故死したこと
・クーデター計画の疑惑から「反革命分子」と批判されたこと
・事件の真相は不明な点が多いこと

林彪に関する確認テスト

選択式の問題で知識チェック

問1 林彪が中国共産党に加入したのは次のうちいつか。
a. 1920年
b. 1925年
c. 1930年
d. 1935年

解答:b

問2 林彪が将軍に昇進したのは次のうちどの戦いでの戦功によるか。
a. 抗日戦争
b. 国共内戦
c. 朝鮮戦争
d. 中印戦争

解答:b

問3 文化大革命中の林彪の職位は次のうちどれか。
a. 国家主席
b. 国務院総理
c. 国防部長
d. 全国人民代表大会常務委員長

解答:c

問4 九一三事件で林彪が逃亡を図ったとされる先はどこか。
a. ソ連
b. モンゴル
c. 台湾
d. アメリカ

解答:b

問5 文化大革命終結後の林彪の扱いで正しいのはどれか。
a. 全面的に名誉回復された
b. 一切評価の見直しはなかった
c. 「反革命分子」のレッテルは残った
d. 最初から軍事面の手腕は評価されていた

解答:c

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