蒋介石と毛沢東: 中国近現代史を動かした二大リーダーを簡単に解説!

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蒋介石と毛沢東ってどんな人?

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蒋介石: 国民党のリーダー

蒋介石

Office of the President of the Republic of China, Attribution, via Wikimedia Commons 

簡潔な蒋介石の解説!

蒋介石1887年生まれ。幼少期に儒教の教育を受け、のちに軍人となる。1907年、日本の士官学校に留学。1911年の辛亥革命で中華民国が成立すると、革命を主導した孫文に認められ、国民党で要職を務める。

1925年、孫文の死後、蒋介石は国民党の実権を握る1927年には北伐を完了させ、中国の名目上の統一を果たす。以後、蒋介石は中国のナショナリズムを掲げ、国民党一党支配体制の下、安定した統一国家の樹立を目指す。反共産主義を掲げ、社会主義革命を唱える共産党を敵視。

蒋介石について詳しく知りたい場合は以下の記事をご参考ください。

蒋介石 【受験生必見】蔣介石の生涯と業績 – 中国近現代史の重要人物を徹底解説!

毛沢東: 共産党のリーダー

毛沢東
簡潔な毛沢東の解説!

毛沢東1893年生まれ。1918年、北京大学図書館で働きながらマルクス主義の書物に触れ、共産主義思想に傾倒1921年、中国共産党の創設に参加。土地革命や農民運動を指導し、党内で徐々に影響力を強めていった。

1935年、毛沢東は共産党指導部の一人として、国民党軍との戦いで窮地に陥った紅軍を率いて長征を敢行。党内における毛沢東の権威は確立していく。以後、毛沢東は中国の社会主義革命の理論と実践において指導的役割を担い、中国を社会主義国家に導く

毛沢東について詳しく知りたい場合は以下の記事をご参考ください。

毛沢東 毛沢東

二人が活躍した中国近現代史の大まかな流れ

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重要ポイント!
  • 1920年代の国共合作は、のちに決裂し、国共内戦へと発展した。日中戦争では再び抗日で協力するが、両党の根本的な対立は解消されなかった。
  • 第二次世界大戦後、再燃した国共内戦で共産党が勝利し、1949年に中華人民共和国が建国された。蒋介石は台湾に拠点を移し、中華民国政府として中国統一を主張し続けた。

国共合作と国共内戦

1923年、孫文の提唱で、国民党共産党は軍事・政治面で協力関係を結びます(第一次国共合作)。しかし北伐の過程で両党の路線対立が浮き彫りになり、1927年、蒋介石共産党への弾圧を開始。武漢でも共産党が国民党右派に攻撃され、国共合作は完全に決裂しました。

崩壊後、国民党と共産党は国共内戦状態に突入します。1931年には日本が満州事変を起こすと、双方とも「抗日」を唱えますが、内戦の解決には至りませんでした。

日中戦争と第二次世界大戦

1937年日本軍が盧溝橋事件を起こし、日中全面戦争が始まると、国民党と共産党は第二次国共合作を形成。表面上は抗日で協力しますが、両党の軍事的主導権争いなどの対立は解消されませんでした。

戦時中、国民党は正面から日本軍と戦う一方、共産党は敵後ゲリラ戦で勢力を拡大。1945年、日本の敗戦により、両党ともに発言力を強めることになります。

戦後の国共内戦と中華人民共和国の建国

日中戦争終結後、国共両党の対立が再燃し、内戦が泥沼化します。当初は国民党優位でしたが、共産党は次第に戦局を有利に展開1949年、共産党軍が北京、南京、広州など主要都市を陥落させ、10月1日、毛沢東は中華人民共和国の建国を宣言しました。

一方、蒋介石は国民党政権の中枢を台湾に移し、「中華民国」の名の下に中国の正統政府であると主張。両岸分断の構図が固定化されます。

毛沢東と蒋介石のポイント!

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  • 国民党のリーダー・蒋介石は、三民主義を掲げ、中国の統一と近代化を目指した。一方、共産党の毛沢東は、マルクス主義に基づく社会主義革命の実現を追求した。
  • 両党は1920年代に国共合作を結成するが、のちに決裂し、国共内戦を繰り広げた日中戦争では再び抗日で協力するが、根本的な対立は解消されなかった。
  • 第二次世界大戦後、国共内戦が再燃1949年、共産党が勝利し、中華人民共和国が建国された蒋介石は台湾に拠点を移し、中華民国政府として中国統一を主張し続けた。