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十字軍とは何か
十字軍の定義と概要
十字軍とは、中世ヨーロッパのローマ・カトリック教会が、イスラム教徒が支配するエルサレムをはじめとする聖地奪還を目的として行った一連の軍事遠征です。1095年、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じて始まった十字軍は、1291年まで約200年にわたって何度も繰り返し行われました。十字軍には、ヨーロッパ各地の国王や諸侯、騎士たちが「神の意志」に従う戦士として大勢参加しました。
十字軍の発生した歴史的背景
十字軍が始まった11世紀末は、西ヨーロッパ世界がローマ・カトリック教会を中心とする封建社会の時代でした。一方、イスラム世界ではセルジューク朝トルコが台頭し、1071年のマンジケルトの戦いでビザンツ帝国軍を破ると、エルサレムを含む地域を支配下に置きます。イスラム勢力の拡大はキリスト教世界にとって大きな脅威となり、ビザンツ皇帝アレクシオス1世は教皇ウルバヌス2世に援軍を要請しました。こうした情勢を背景に、ウルバヌス2世は聖地奪還を訴える演説を行い、十字軍遠征が始まったのです。
「十字軍」の語源と由来
「十字軍」を表すラテン語の “crucesignati” は、「十字架 (crux) の印を付けられた者」を意味します。これは、遠征軍の兵士たちが自らの胸に十字架の印を縫い付けていたことに由来しています。教皇による聖戦の大義名分が込められたこの呼び名は、やがて遠征そのものを指す言葉として定着していきました。また英語の “crusade” や フランス語の “croisade” といった語も、同様の成り立ちを持っています。十字軍という名称には、キリスト教の象徴である十字架を掲げて戦うという宗教的な意味合いが込められているのです。
十字軍のきっかけと目的
11世紀のキリスト教世界の状況
十字軍が始まる11世紀の西ヨーロッパは、キリスト教を精神的支柱とする封建社会が確立していました。世俗権力と教会権力が入り交じる中で、ローマ教皇は精神的のみならず政治的にも大きな影響力を持っていました。武力を担う騎士階級の台頭とともに、異教徒に対しては強硬な姿勢で臨むようになります。また教会内部では、聖職者の道徳的退廃に対する改革運動が起こるなど、精神的・宗教的熱気が高まりを見せていた時代でもありました。
セルジューク朝トルコの台頭とビザンツ帝国の危機
11世紀半ば、イスラム世界ではトルコ系遊牧民のセルジューク朝が勢力を拡大し、スンニ派イスラムの守護者として君臨するようになります。1071年のマンジケルトの戦いでビザンツ帝国軍を破ったセルジューク軍は、小アジア地方に進出。これによってビザンツ帝国の衰退が加速するとともに、アナトリアのキリスト教地域がイスラム化されていきました。かつてキリスト教の中心地であったエルサレムもイスラム勢力の支配下に置かれ、キリスト教世界にとっては由々しき事態となったのです。
ウルバヌス2世によるエルサレム奪還の呼びかけ
セルジューク朝の脅威に直面したビザンツ皇帝は、ローマ教皇ウルバヌス2世に援軍派遣を要請します。これを受けたウルバヌス2世は、1095年にフランスのクレルモンで宗教会議を開き、聖地エルサレム奪還を訴える演説を行いました。「神の意志」に従って異教徒と戦う者には、罪の赦しと来世の救済が約束されると説いたウルバヌス2世の言葉は、集まった人々の熱狂を呼びました。こうして教皇は、キリスト教世界の結集を図り、対イスラム聖戦である十字軍遠征の始まりを告げたのです。
十字軍の推移と結果
第1回十字軍から第7回十字軍までの概要
十字軍は、1096年の第1回遠征から1270年の第7回遠征まで、二百年近くにわたって繰り返し行われました。当初の目的であった聖地エルサレムの奪還は、第1回十字軍で一度は達成されたものの、その後のイスラム勢力の反撃により失われてしまいます。第2回から第7回までの十字軍は、エルサレム奪還を目指しつつも、その目的を果たすことはできませんでした。さらに第4回十字軍では、本来の目的とは大きく外れて、コンスタンティノープル征服という予期せぬ出来事も起こりました。
主要な十字軍の成果と挫折
第1回十字軍は、エルサレム征服とエルサレム王国樹立という大きな成果を挙げました。しかし、第2回と第3回の十字軍は失敗に終わり、エルサレム奪還の目的を達成できませんでした。特に第3回十字軍では、エルサレム王ギー・ド・リュジニャンがサラディンに敗れ、エルサレムを失陥。その後、リチャード獅子心王らの奮戦むなしく、十字軍国家は衰退の一途をたどります。第4回十字軍は当初の目的を大きく逸脱し、コンスタンティノープルを占領するという予想外の展開となりました。
エルサレム王国の建国と衰退
1099年、第1回十字軍の勝利によって建国されたエルサレム王国は、十字軍国家の中心として初期の繁栄を謳歌します。初代王ゴドフロワ・ド・ブイヨンに続き、バルドゥイン1世、2世の治世下で版図を拡大。ところが、イスラム勢力の盟主となったサラディンの台頭により情勢は一変します。1187年のヒッティーンの戦いでエルサレム王ギー・ド・リュジニャンがサラディンに敗れ、エルサレムは陥落。その後も奪還の試みは失敗に終わり、エルサレム王国は衰退していきました。1291年、最後の拠点アッコンもイスラム軍に落とされ、エルサレム王国は1世紀余りの歴史に幕を下ろしたのです。